バレエと本と若冲と

日々時と記憶が失われていくので、バレエや美術展の感想を書きとどめていきたい

ハンブルクバレエ2018

ハンブルクバレエ2018年東京公演が終わった。

今回は初日と3日目の「椿姫」、ガラ公演「ジョン・ノイマイヤーの世界」、最終日の「ニジンスキー」を見た。

なんといってもアリーナ・コジョカルの「椿姫」がよかった。若い頃のコジョカルはそれほど好きではなかったけれど、2年前の「リリオム」を見て、年を取ってからの方がよくなったなと思っていた。それでも椿姫役がこれほどはまるとは予想外だった。

15年くらい前ににデュマ・フィスの小説を読んで以来、すでにマルグリット・ゴーティエのイメージがついてしまっているから、役のイメージに合わなければどれほどバレエや演技がうまくても納得できない。オペラ座のギエムもアニエスも美しいし、技術的には何の問題もないけれど、プライドの高い高級娼婦は演じられても、男のために自分を犠牲にするタイプではない。特にギエムは唯一無二の個性と強さが彼女の最大の魅力であり、一方でジゼルや椿姫役に違和感がでる弱点でもある。

コジョカルは「リリオム」のジュリー役といい、今回のマルグリットといい、美して薄幸な「かわいそうな女」が実によく似合っている。娼婦役でありながら気品があって、みじめにはならない。か弱くはかなく、強風ですぐに散ってしまう小さなバラのような美しさがあった。

相手役のトルーシュは、マチュー・ガニオに代表されるようなオペラ座の貴公子然としたアルマンと比べると最近田舎から出てきたような泥臭さがあったけど、マルグリットを愛する情熱とマルグリットの真意を少しも理解しないアルマンの愚かさを全力で表現していてよかった。

マノン・レスコー役のシルヴィア・アッツォーニは、顔も体のラインも本当に美しく、優雅なポール・ド・ブラが実に幻想的でよかった。すっかりファンになった。

今回プリュダンス役に抜擢されていた菅井円加もとてもよかった。あれから2年でこんな大役を任せられるなんて、ノイマイヤーに期待されているんだな。娼婦とはいえちょっと下品なくらいだったけど、基本的に技術がしっかりしていて好感が持てた。今後に期待したい。

今もショパンピアノソナタ3番が頭の中から離れない。

まるで体重がないかのようにふわーっと宙に浮くコジョカルの白いチュチュ、波を打つ黒い髪。白い化粧着に着替えたマルグリット・ゴーティエそのもの。結核という当時では死に至る病に命を削られながら、浮き草稼業を続けていくよりほかに生きる道のない悲しさ、あわれさ。そんな中で夢見たただ一つの恋さえ、かなわない。愛した男に真心は通じず、命をかけて会いに行ったのに与えた体の代償としてはした金を渡される屈辱と絶望。何もかも、小説からイメージしていた椿姫そのもの、むしろイメージを超え、コジョカル自身が椿姫になったような素晴らしい舞台だった。

2回同じ配役で観たけど、また観たい。

 

ジョン・ノイマイヤーの世界」は2年前と同じ構成だったから、初めて観た2年前の方が感動した。前回も今回も「マタイ受難曲」で眠くなって「クリスマス・オラトリオ」で目を覚ました。「くるみ割り人形」のクララは2年前のエミリー・マゾンの方がよかった。ガラでも「椿姫」コジョカル&トルーシュだったのでとても感動したし、ずっと観ていたかった。「マーラー」で赤いレオタードに身を包んだアッツォーニはとてもきれいだった。ラストでノイマイヤーが追い求める芸術の女神のそのものだった。

 

ニジンスキー」は初めて全幕を観た。シェヘラザードの音楽とともに「バラの精」や「牧神の午後」が再現される。そして狂気。ダンサーはそれぞれ素晴らしかったけれど、私は「椿姫」の方がよかったな。

 

2年前の「リリオム」「ジョン・ノイマイヤーの世界」「真夏の夜の夢」で私の東京生活は幕を開け、奇しくももう1度ハンブルクバレエを観て、もうすぐ終わる。

また東京に戻ってきたい。

 

 

中谷美紀「黒蜥蜴」東京公演千秋楽

中谷美紀主演の「黒蜥蜴」東京公演千秋楽を見に行ってきた。

私は普段バレエしか見ないので、日生劇場に初めて行った。

マツコの知らない世界」で見た通り、美しい内装だった。ガウディ建築のような曲線とモザイク、海の底の洞窟で舞台を見ているような気分だった。

江戸川乱歩の「黒蜥蜴」には中学生の時に出会い、その後ほとんどの乱歩作品を読んだけれど、私はこの作品が乱歩の最高傑作だと思っている。本格的な推理小説のトリックはななくても、乱歩の本当の良さは「人間椅子」とか「屋根裏の散歩者」のような夜の闇を愛する人間を描く小説にあるのではないかと思う。「黒蜥蜴」は大衆向けエンターテイメントと乱歩独特の耽美世界が融合した作品なのだ。

その「黒蜥蜴」を三島由紀夫が戯曲化した。三島の大ファンの私だけど、「黒蜥蜴」に関しては乱歩の原作の方がいいと思っている。黒蜥蜴はともかく、明智小五郎がいかにも三島的な装飾過多なセリフを口にすることに違和感を覚えるからかもしれない。

とはいえ、もともと中谷美紀が好きだから、今回の舞台にはかなり期待していた。

そして期待以上によかった。

冒頭のセリフから、普段TVで聞いているよりも中谷美紀の声が低かったので、「あれ?」と思っていたけど、セリフの間に湿性咳を3回して、「お芝居の咳じゃない。風邪ひいているんだ!」と心配になった。その後少し持ち直していたけど、2幕目のソファにも垂れかかるシーンでも咳をしていた。代わりのきかない主役だから、体調が悪くても出なければいけないんだな、大変だなと思いながら見ていた。

体調が万全だったら、もっと良い芝居ができていただろうに。

それでもとにかく中谷美紀が美しかった。特に黒いドレスに着替えてからは、一層中谷美紀本来の神秘的な美しさが増していた。背中が大きく開いたイブニングドレスで後ろを向いた姿はビアズリーの絵そのものだった!

妖艶で孤独で悲しくて、そして敵である明智小五郎を愛している。

黒蜥蜴と明智が交互にセリフを言い合うシーンはこの戯曲のハイライトだけど、半透明の壁一枚で隔てられた二人の微妙な距離、1幕の最後に二人が向かい合って対決するところ、ドラマティックでゾクゾクした。

音楽も演出も、ピンと張られた細くて強い糸のように緊張感のある物語の世界によく合っていた。やはり生演奏なのがいい。

ただ、最後のシーンで黒蜥蜴の右の二の腕、刺青が入っている方の腕が見えなくて、「ああ、残念!」と思った。乱歩の原作では黒蜥蜴が毒を飲んで死ぬとき、周りには誰もいなくて明智と二人きりなのだ。明智に「あなたの腕の中で死ねて幸せ」と言い、「あなたの唇を・・・」と接吻をねだるのだけど、明智が口づけするのは彼女の唇ではなく額だ。そこが乱歩の昭和風で奥ゆかしいところなのかもしれない。そしてこの物語は、「黒蜥蜴の美しい二の腕があらわになって、そこに、彼女のあだ名の由来をなした、あの黒蜥蜴の刺青が、これのみは今もなお生あるもののごとく、主人との別離を悲しむかのように、かすかに、かすかに、うごめいているかに感じられたのである」とテレビや映画であれば、二の腕の刺青がクローズアップされて「完」とでもなるべき終わりを迎える。

だから、最後のシーンでは中谷美紀の右腕が観客側に向くべきだったと私は思っている。

それ以外は何もかも素晴らしかった。明智が入っていると信じているソファに黒蜥蜴が寝転がってキスするシーンなどはとても官能的で、乱歩が見たら喜んだんじゃないかと思った。

いい舞台だった。本当はもう一度見たいけど、中谷美紀の体調が心配。カーテンコールでは早く良くなってくださいと心の中でエールを送ったのだった。